沖縄はとても美しかった。
あの透き通った海を
自分の心に、常に置いておきたいと思う。
波のリズムと自分の鼓動を一体化させれば
きっと心はどこよりも穏やかになるだろう。
そういった沖縄の南国的な美しさの横に、
沖縄戦という、唯一の地上戦の傷跡が横たわっている。
米軍基地の形をとって今も住民を脅かしている、「それ」は
一筋縄では解決しない問題だ。
本当の事を言うと、私は沖縄に行って、現地の人の話を聞くまで
そこまで米軍基地の問題をとりたてて問題視していなかった。
新聞の隅で定期的に載る「それ」について、
ネット上の「基地の周りに家を建てる方が悪い」みたいな意見に同調してしまうレベルだった。
無知だった。
恥ずかしい。
今回の旅行で、一番大きな「学び」は
当事者と部外者とでは、問題意識が全く違うということ。
そして、冷ややかな批判をする人のほとんどは「部外者」であるということ。
「部外者」は文字だけ、数字だけを眺めて、知った気になっている人を指す。
私もそうだった。
部外者は、その問題について言及すべきではないと思う。
部外者による ひとことが、
その無知による虚栄が、
本当に苦しんでいる人を脅かし、
真実を知ろうとする人を冷やかすことになるから。
沖縄戦で米軍に家を焼き払われた後、
そのまま土地を買い上げられ、毎年土地の返還を求めるも
聞き入れられない人の話を聞いて、
飛行場から飛び立つ戦闘機を見て、音を感じて、
沖縄に住んでいる人の不安の大きさを知った。
自分の土地が米軍用に「租借」されている人の話で、
印象的だった言葉がある。
「沖縄が日本に返還されて、嬉しかったのはなんでだと思います?
日本の憲法のもとで暮らせるからです」
戦争と平和なんて、私は普段、考えたりしない。
だけどこの人たちは常に考えている。考えずにはいられない。
問題意識の差、というものをすごく感じた。
私は少し、鈍感になっているのかもしれないな。
「無知であることがいかに恐ろしいか」ということを知った。
そして、平和学習について考えた事。
あらゆる戦争に関する映像や写真を見たり、
そういった話を聞いて、私は
髪や目の色に関わらず、人間が苦しんで死ぬのを見たくない
という素朴な感覚を得た。
根本的に同じ構造をしている「他人」が、もがき苦しむのを見たくないという感覚は、
全ての人間に生まれつき備わっている。
この感覚をきちんと発動させることが、平和学習の意義だろう。